任天堂「Wii」即完売、ゲーム初心者呼び込む
 任天堂が2日、「Wii(ウィー)」を発売し、ゲーム機大手の新型機種が出そろった。全国の主な家電量販店では1日夜から長い列ができ、昼ごろまでに完売が相次いだ。Wiiはゲームになじみの薄い消費者層を取り込むため、操作を簡単にした。年齢を問わずに楽しめるソフトなどをそろえ、減少傾向が続いているゲーム人口の増加を狙う。初回出荷台数は40万台弱とソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の「プレイステーション(PS)3」の4倍。だが高水準の需要には応えきれなかった。東京・秋葉原ヨドバシカメラマルチメディアAkibaでは用意した1500枚の整理券を前夜に配り終え、開店前に実質完売した。
小泉神社と庚申さん (大和郡山市)今も昔も住民の守り神
JR大和小泉駅西出口から小泉神社を目指す。昭和にトリップしたかのような商店が並ぶ。また町の中に流れる用水路も昔ながらの小魚の姿が見える。駅前通りを抜け、富雄川を越え歩いて約15分、小泉神社は古い家並み、新しい家並みに囲まれたところに建っていた。まず大きな階段が目にとまる。上っていくと風格のある背の高い門がある。屋根の下にもう1つ屋根がついているような形の『袖(そで)つき門』、元は片桐城(小泉城)の門であったそうだ。
その門を通り抜ける『ふとんみこし』で賑わう10月第2土日に行われる秋祭りは、広い境内も人でいっぱいになる。 「秋祭りは華やかですが、冬の田植え祭りは素朴な行事。2月11日の祭りに欠かせない砂は氏子さんの寄付で集まります。昔、境内の砂を参拝するたびに足の裏に付けて降りてしまうので、年末に富雄川の砂を持ってきて境内に返したのです。今は河川の砂ではありませんが、その心は伝えられています」というのは小泉神社宮司の妻、 美川(とみかわ)清子さん。室町時代応永年間にこの地方の人間生活の守護神として祭られ住民との関わりを大切にしてきた。今も熱心に行事参加する住民は、年々増えているという。また住宅街を富雄川方面へ戻って行く。この辺りの軒下にぶらさがっているのは、赤いお猿さんが3体並んだ庚申さんのお守り。どの家にも飾ってある。『小泉の庚申さん』という愛称の庚申堂は、宗派関係なく古くから信仰されてきた。一時、無人だったこの寺も、橘寺の住職が兼任し、昔の活性を取り戻している。門にはりっぱなシャチホコの瓦屋根。残念ながら、この日は誰もいなくて、お守りを手にすることはできなかった。 境内から富雄川の堤防を歩く。車が行き交う交差点のたもとに、地蔵さんが鎮座している。屋根がついて、座布団が用意され休憩所のようになっている。目的は定かではないが、住民のいこいの場所のようだ。ひと休みして帰途についた。
矢沢永吉:“大人の夜”「ブルーノート」ライブ
 ロックシンガーの矢沢永吉(57)が2日夜、東京・南青山の名門ジャズクラブ「ブルーノート東京」でライブを行った。ジャズクラブでの公演はデビュー33年で初めて。「永ちゃんコール」「手拍子」「タオル投げ」の3種の定番が禁止されたシックな雰囲気の中、ファンは永ちゃんのスローバラードに酔いしれた。
 ブルーを基調としたほの暗い照明の中、矢沢のハスキーな歌声が響く。客席では矢沢がアマチュア時代にあこがれた「ジンライム」と豪華なディナーをとりながら、ささやき合う男女。リーゼントに革ジャンでデビューしてから33年。永ちゃんもファンも、年を重ねた今だからこそ味わえる“大人の夜”をゆっくりと楽しんだ。
 日本のロック歌手で初めて日本武道館公演を行うなど、さまざまな挑戦をしてきた中、57歳で選んだのはジャズの名門。男女150組300人限定のチケットには1万通を超える応募があった。
 客席からゆっくりと登場。「アップタイト」「愛はナイフ」の2曲をジャズ風にアレンジし、ピアノ、サックス、バイオリンの哀愁に満ちた音色がアダルトなムードを盛り上げた。
 「皆さん、ようこそ。普通のコンサートよりプレッシャーがあるよ」と苦笑いであいさつ。「クラシックやオペラとの融合とかいろいろやってきたけど、今回はどう?」と客席に尋ねた。
 「永ちゃんコール」などが禁止された空間はファンにとっても初体験。だが、フランク・シナトラのようなダンディズムにあふれた新たな魅力に「サイコー!」の歓声が何度も飛んだ。
 TBCのCMで流れる「もうひとりの俺」をギターによる弾き語りで歌うなど、1時間30分間で14曲を披露。ラストでは客席から手拍子が鳴り、永ちゃんコールがわき起こる中を気持ちよさそうに去っていった。
「アマチュア時代に横浜のナイトクラブで歌っていたころを思い出した。きょうの夜は、あのジンライムが飲みたいな。ライムシロップで作ったニセモノのジンライム。最高の夜だ。またやりたい。何回でも」。目尻のしわを深く刻み、うれしそうに笑った。