第91回「聞こえてきた世界大不況の足音――サブプライムローン問題の本番はこれから」(2008/10/06)
 1年前の筆者のいやな予感が的中してサブプライムローン(米国の信用力の低い個人向け住宅融資)問題が急拡大し、世界中が金融危機におびえている(本コラム第83回「時限爆弾化するアメリカ――サブプライムローン問題は世界不況の前触れ?」)
 わが国では官房長官が「ダメージは限定的」と対岸の火事的なコメントをしていたが、全くの見当違いだ。今回の危機の底流には世界的な構造問題があり、世界は5〜10年単位の「混乱と大不況の時代」に突入したと見るべきだ。
巨大なヘッジファンドと化した投資銀行
 その第1の理由は、1980年代以降の世界経済を直接・間接にリードしてきたアメリカ型投資銀行のビジネスモデルが崩壊したことだ。
 アメリカの投資銀行は、1860年代の南北戦争時に、北軍の依頼で戦時国債を売りさばくことで手数料を稼いだジョン・クックを嚆矢(こうし)とする。以来100年近くにわたり、顧客への資金調達支援と財務戦略助言を本業としてきた。
 だが、1980年代に入ると市場相手のトレーディングや自己投資業務が台頭し、たちまち伝統的投資銀行業務を凌駕(りょうが)した。投資銀行新時代の幕開けだ。
 そのけん引役はソロモン・ブラザーズ(現シティグループ)やゴールドマン・サックスなどの新興勢力であり、今日の投資銀行全盛時代を築いてきた。この間、ミニ投資銀行ともいうべきヘッジファンドも雨後のタケノコのように誕生した。
 近年、彼らは勢いを加速させており、たとえば業界トップのゴールドマン・サックスは、2005年から07年までのわずか2年間でトレーディング・自己投資部門の粗利益を1.8倍に拡大し、昨年は収益全体の3分の2以上をたたき出している。
 いまや投資銀行自体が巨大なヘッジファンドだといっても過言ではない。
“3種の神器”によって編み出された虚構の金融市場
 このトレーディングや自己投資業務を支えたのは、金融工学を核とする先端金融技術の発展であり、その柱は、証券化デリバティブレバレッジという3種の神器だ。
 ここで詳細を解説する余裕はないが、証券化はリスクを分散し、デリバティブはリスクをヘッジする金融技術である。レバレッジは、借入金で投資資金を数倍に膨らませて資本効率を倍増させるという、革命的な金融技術であり、最近の投資銀行自己資本の30倍近い借り入れを集めて巨額の投資活動を展開している。
 彼らは、この3種の神器を複雑に組み合わせることで無限の投機商品を開発し、次々と新市場を開拓していった。いわば、実体経済と乖離(かいり)した虚構の金融市場を構築し、カジノマネーを増殖させていったのだ。
証券化商品の発行額も昨年1年間だけで1.6兆ドル(約168兆円)に達し、企業の債務不履行を保証する商品の残高も62兆ドル(約6500兆円)に上る。この証券化商品はさらに様々な金融商品デリバティブに組み込まれて、その数十倍の規模で世界中の金融市場に拡散される。
 そのデリバティブの残高は2007年6月末時点で516兆ドル(約5京4000兆円)に達した。世界の国内総生産(GDP)は約54兆ドルだから、いわば実業の世界の実に10倍近い虚構の世界が広がっている。
 かくして、カジノマネーの象徴ともいうべきヘッジファンドだけでも、その資産規模はこの5年間で実に3倍も膨張し、昨年末は約1.9兆ドル(約200兆円)に達した。これに銀行借り入れ(レバレッジ)を加えれば、4.8兆ドル(約500兆円)〜6.7兆ドル(約700兆円)という、わが国予算の6〜8倍もの投機資金が、世界中を駆け巡っていることになる。
 サブプライムローン問題の本質は、こうした投機市場が臨界点に達したことにある。
投資銀行ビジネスは完全に頓挫
 アメリカ政府は、98年のロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)破綻の際も、「いざとなれば市場に資金供給すれば危機を回避できる」という対症療法だけを学び、その後も野放図に投資銀行ビジネスを拡大させてきた。今そのツケが一気にはじけ、LTCM破綻時の数十倍のマグニチュードで世界を襲っているのだ。
 だが、今回の一連の救済的再編劇の中でアメリカの投資銀行はすべて銀行業に組み込まれ、今後は米連邦準備理事会(FRB)や国際決済銀行(BIS)の厳しい監視下に置かれる。特に、レバレッジに対する規制が強化されることは確実であり、投資銀行ビジネスにとっては財源を失うという、決定的な打撃になるはずだ。
 かくして、これまでのような先端金融技術を使った市場開拓は完全に行き詰まったと見るべきだろう。
モラルなき利益追求に注がれる厳しい目
 倫理やモラルハザードの問題も見逃せない。80年代以降の投資銀行ビジネスは、常に金融犯罪や社会的批判の問題を内包しながら拡大してきた。
 80年代後半のゴールドマン・サックスなどによるアイバン・ボウスキー関連のインサイダー事件、91年のソロモン・ブラザーズによる国債不正入札事件、90年代のモルガン・スタンレーなどによる新規株式公開(IPO)市場操作事件、2000年のシティグループソロモン・スミス・バーニー部門)などによるエンロンワールドコム不正会計事件、04年のシティグループ日本法人によるマネーロンダリング事件など、枚挙にいとまがない。
 今回のサブプライム問題でも、すでに米連邦捜査局FBI)や米証券取引委員会(SEC)がモルガン・スタンレーなど14社について、詐欺容疑などで捜査に着手した。
 先日、経済小説家黒木亮氏からの依頼で彼のベストセラー「巨大投資銀行」の解説文を書いた(今月中に文庫本化の予定)。本書では投資銀行ビジネスの強引な商法が随所に登場するが、そのほとんどが実話であり、改めて投資銀行の強烈な拝金主義と壮大なモラルハザードに吐息が出る。
 今回の公的資金の投入について多くのアメリカ国民が反発している背景には、「なぜ反社会的行為で暴利をむさぼっていた金融機関を救済しなければならないのか」という根強い不満があり、政府も議会もこれを無視することはできまい。ヨーロッパ各国も今は目前の危機回避に精一杯だが、一段落すればアメリカ批判を噴出させることは明らかだ。
 かくして、投資銀行ビジネスは企業倫理の観点からも今後大きな制約を受けることは明白であり、これまでのような「濡れ手で粟(あわ)」の時代は幕を下ろす。
第2に、こうした投資銀行ビジネスの行き詰まりはアメリカ経済に甚大なダメージを与える。
 アメリカにとって、金融・不動産業は今やGDPに占めるシェアが20%を超える最大の産業に成長しており、その中核を投資銀行ビジネスが担ってきた。
投資銀行業務は80年からの15年間で実に14倍、ファンド・ビジネスは16倍に急成長した。この4半世紀、凋落(ちょうらく)するアメリカ経済をカバーしてきたのは投資銀行ビジネスだったといっても過言ではない。
 しかも、投資銀行ビジネスは、商業銀行、機関投資家、保険会社、不動産、弁護士、会計士などを巻き込む、すそ野の広い産業だ。
 例えば、商業銀行は、巨額のレバレッジ資金を投資銀行ヘッジファンドに貸し付けることで高収益をあげてきたし、機関投資家地方銀行などは投資銀行のリスク商品を資金運用することで高実績を確保してきた。保険会社は証券化商品やデリバティブに保険を付与し、弁護士は膨大な契約に介入して手数料を稼いだ。もちろん、不動産業とは証券化やプロジェクト・ファイナンスなどを通じて一蓮托生(いちれんたくしょう)の関係を築いてきた。
 いわば、投資銀行ビジネスは巨大な連合艦隊であり、空母役である投資銀行の存在は圧倒的だ。ゴールドマン・サックスの昨年の純利益は115億ドルとシティグループ銀行部門の120億ドルに肩を並べる。
 その空母が機能不全に陥れば、金融界のみならず産業界全体に大きなダメージを与えることは間違いない。
家計も直撃、不況は長期化へ
 さらに、投資銀行ビジネスの停滞は個人の家計も直撃する。周知のとおり、アメリカは証券の国、投資の国だ。家計の資産構成は投信・株式が43.2%と圧倒的に高く、現預金割合は13.9%と極端に低い(わが国は52.0%)。
 今回アメリカの一般国民がサブプライムローン問題で受けたダメージは、われわれの想像以上に甚大で、今後消費や住宅建設の減退などの形で実体経済を直撃することは間違いない。
 筆者は87年のブラックマンデー直後からの4年間ニューヨークに駐在したが、アメリカでは町中に物乞いがあふれるなど、その後3年近くも深刻な不況が続いた。結局、その時は日本から流入した大量のバブル資金で息を吹き返していったが、今回は救世主出現の期待は薄く、不況の長期化は不可避だ。
 第3の懸念は、今やこのアメリカ的な金融風土が世界中に拡大していることだ。
 筆者は、この7月、数年ぶりにイギリスを訪問したが、様々な場面で「アメリカ化」を実感した。金融街ティーウォール街から転職してきたインベストメントバンカーであふれ、別地域に新金融街を拡張するほど膨張していた。伝統的な銀行業やマーチャントバンクが中心だったシティーは、この10年間で第2ウォール街に変貌(へんぼう)したようだ。
 この間マンションなどの不動産価格は異常に高騰し、完全に投資商品化した。ロンドンの1等地では日本の高級マンション価格を凌駕(りょうが)するほどだ。
 一般国民は不動産や株式投資への関心を格段に高め、富裕層はますます豊かになった。サウス・ケンジントンの高級住宅街にはスノビッシュなレストランが出現し、超高級車ランボルギーニベントレーのディーラーが立ち並ぶ。「質実剛健の国イギリス」も、いつの間にか拝金主義的な「アメリカ化」の大波をかぶっていたのだ。
 多くのイギリス人は、この10年近く続いた繁栄は外資による「ウィンブルドン化」が最大要因だといい、そのけん引役は金融であり、投資銀行ビジネスだったと異口同音に解説する。だが、今はそれが裏目に出ている。不動産価格は昨年半ばから突然20%近くも下落し、2004年以降発表されたオフィスビル建設計画19件のうち、16件が滞っているという。いうまでもなく、投資銀行ビジネスにブレーキがかかり、海外からの投資資金が急減したからだ。
 個人の消費意欲も急速に減退し、財務大臣が「この60年間で最悪の下降局面に直面している」とコメントするほど不況色を強めている。
エピゴーネン(追随者)たちの浮沈
 スイスやドイツなど他の先進ヨーロッパ諸国も事情は類似する。
 その象徴はスイスのUBSだろう。UBSは、91年のオコナー社を皮切りに投資銀行の買収を重ね、わずか10年足らずで小国の商業銀行から世界有数の投資銀行に駆け上がった。だが、彼らはLTCM破綻のときも今回のサブプライムローン問題でも深刻な経営危機に陥った。
 筆者には、結局UBSはアメリカ的な投資銀行になりきれなかったことが最大の敗因だったように思えてならない。アメリカの投資銀行のように、商品や市場をオリジネート(創造)することなく、もっぱらレバレッジ貸し出しや金融商品の運用など、いわば脇役を演じてきたように見えるのだ。
 その結果、いつも制御困難なリスクの海を航海させられ、アメリカのヘッジファンド投資銀行がつまずく都度、その直撃を受けてきたのではないか(本コラム第88回「UBS3度目の失敗――人間はどこまでリスクを管理できるのか」)。
 他のヨーロッパの金融機関も同様だ。外見は投資銀行的でも、ビジネスの大部分をアメリカの投資銀行ヘッジファンドに依存しているのが実態だろう。今、UBSだけでなく、金融機関の優等生といわれたイギリスのロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)までもが株価を急落させて緊張を高めている。
 今回のサブプライムローン問題は、結局ヨーロッパの金融機関もアメリ投資銀行ビジネスの連合艦隊に組み込まれていたという実態を浮き彫りにした。アメリカの投資銀行ビジネスの凋落はヨーロッパの金融界に構造的なダメージを与え、いずれヨーロッパ経済全体にも深刻な影響を及ぼすことは確実だ。
 第4の懸念は、サブプライムローン問題を契機とした中国のバブル崩壊だ。
 筆者は先月、大連、瀋陽ハルビンなど中国の東北部を訪問した。そこで見たのはまさに不動産バブルそのものだった。
 大連ならいざ知らず、沿岸地区から遠く離れた内陸のハルビンですら、川沿いのマンションは日本円で1億円以上もする。いうまでもなく多くは投資対象になっており、空き家も少なくない。
 現地の中国人に聞くと、銀行はマンション購入資金であれ、車の購入資金であれ、少額の頭金でいくらでも融資してくれるという。やがてマンション価格が上がれば担保余力ができ、さらに追加融資を受けて別の物件に投資する。現にどこへ行ってもマンションの建設ラッシュだった。
 この構図は、かつてのわが国のバブルや最近のアメリカの住宅バブルに酷似する。
 しかも、恐ろしいのは、彼らが退職金を全額株や不動産につぎ込むなど、クレージーな投資を繰り返していることだ。筆者は、北京や上海がバブルの渦中にあることは承知していたが、こんな地方都市までがバブルに踊っていることに衝撃を受けた。
 中国のバブルは必ずはじける。今後サブプライムローン問題の余波で中国が金融政策を転換すれば、一気にバブルがはじける可能性が高い。その時内外に与えるダメージの大きさは筆者の予想能力をはるかに超える。
中国に流入した投機マネーの行方
 この点でもうひとつ注目すべきは、最近の対中投資動向だ。
 中国は2002年以降毎年500億ドル以上という驚異のペースで海外からの直接投資を受け入れてきた。中国急成長の原動力だ。
 だが、ごく最近の流入ピッチは異常だ。06年の658億ドルから昨年は748億ドル、そして、今年は上半期だけで前年同期比45.6%増の524億ドルに膨れ上がった。その内訳をみると、不動産業が全体の22.7%の119億ドル(約1兆2500億円)と群を抜いて高い。
 さらに、当地の学者やエコノミストたちは、人民元切り上げを見込んだホットマネーの流入を示唆している(JETRO「2008年上半期の対中直接投資動向」)。中国では本来厳しい外資規制があり、投機マネーが侵入する余地は少ないが、それでも虚偽の投資報告などによる抜け穴は存在するようだ。
 筆者の推測では、こうした投機マネーはかなりの部分が最終的に不動産に流れているはずだ。1997-98年のアジア通貨危機ではないが、この投機マネーが現在の不安定な金融環境の中で一斉に引き揚げれば、一瞬のうちにバブルが崩壊するような気がしてならない。
 いずれにせよ、中国経済はハラハラ時計を抱えて走らなければならず、これまでのように世界経済の機関車役を果たし続けることは困難になるだろう。(中国レポートは別の機会に紹介したい。)
 かくして、世界経済は「混乱と大不況の時代」に突入した。わが国も、アメリ投資銀行ビジネスの連合艦隊に組み込まれていなかったという僥倖(ぎょうこう)で金融界のダメージこそ小さいが、世界経済の急落と投資マネーの縮小でかつてない難局に直面することは確実だ。今後、わが国をはじめ世界がこの苦境から脱出するには、相当の時間とエネルギーを要するだろう。
 ここで詳細を分析する余裕はないが、アメリカ経済は60年代後半から凋落をはじめ、80年代以降は投資銀行ビジネスがその穴埋めをしてきたという歴史的事実がある。政府が金融立国への転身を図り、全力で投資銀行ビジネスを後押ししてきたというほうが正確だ。
 98年のシティコープとトラベラーズの非合法な合併を承認したロバート・ルービン元財務長官も、現在のヘンリー・ポールソン財務長官も、ゴールドマン・サックス出身である。日本でいえば、野村証券の社長が財務大臣を務めるようなものだ。
 その投資銀行ビジネスが行き詰った今、ふたたび不健全なアメリカ経済と脆弱(ぜいじゃく)なドルという実態が浮き彫りになる。
「キリギリス的生き方」と決別できるか
 結局、最終的にはアメリカが財政赤字と経常赤字を改善してドルの信認を回復するしか経済再生の道はない。そのためには、ローレンス・サマーズ元財務長官が指摘するように、「アメリカ国民が身の丈に合った生活」に回帰するしかないだろう。
 国民は借金依存の消費を抑制し、政府は膨張する軍事費を削減し、FRBは拝金主義的な金融風土を改革することが必要だ。長い間「キリギリスの人生」を享受し、世界の番人を自認してきた誇り高いアメリカ人にも、しばらく「アリの人生」を忍耐してもらうしかない。
 その過程で日本をはじめアメリカに依存してきた多くの国も大きな苦痛を味わうだろうが、世界が次の新しい時代を迎えるための陣痛のようなものだ。逆に、今回も中途半端な対症療法でお茶を濁せば、近い将来、今度こそアメリカ発の大恐慌を招くに違いない。
アメリカの時代、終わりか新たな始まりか
 筆者が生まれた60年前、ブレトン・ウッズ体制によってイギリスから基軸通貨を勝ち取ったアメリカは絶頂期にあった。
 ロシアの経済学者ニコライ・コンドラチェフは「産業国家の経済的発展は50年持続する波の中に生ずる」という有名なコンドラチェフの波の理論を提唱した。
 今のアメリカに次の50年の繁栄を持続させる新しい種は芽生えているのだろうか。それとも、脳幹に刻み込まれた「アメリカが世界の中心」という観念を捨てなければならないのだろうか。
 われわれは今、世界の大きな転換期の中にいることを実感する。