日本の歴史において最初の女帝は推古天皇と言われている。かの聖徳太子が摂政を務めたという飛鳥時代天皇である。しかし、彼女よりも前に葛城の地で政(まつりごと)を行った女性がいると知り、角刺神社を訪れた。
  日本書紀によると、飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)は2人の弟が天皇の位を譲り合い、長く位につかなかったため忍海角刺宮で政を行い、自ら忍海飯豊青尊(おしみいいとよのあおのみこと)と名乗った、と記されており、近鉄忍海駅からほど近い角刺(つのさし)神社が角刺宮跡と伝えられている。
 飯豊青皇女履中天皇の娘または孫、または位を譲り合ったという顕宗(けんぞう)・仁賢(にんけん)天皇にとっては叔母または姉(妹とも)といろいろな説がある不思議な女性である。はるか古代の話であり想像するのは難しいが、履中天皇の甥が雄略天皇であり、5世紀に中国に使いを送ったという「倭の五王」の時代である。
日本書紀古事記は彼女を天皇としては記していないが、後世には彼女を天皇とする歴史書もあるという。葛城市歴史博物館学芸員の田中慶治さん(44)によると昔の天皇の名前には鳥の名前を意味するものが多く、飯豊には白フクロウという意味があるとのこと。また日本書紀には彼女が男性と一度しか関係を持たなかったという記述があり「いいとよさんが巫女的な存在だったことを示しているのでは」と田中さんは親しみを込めて話す。
 訪れた日、鳥居や拝殿、狛犬などに真新しいしめ縄が飾られていた。「地域のコミュニケーションの場になっています」と話す浅野晃さん(59)はほぼ毎日神社にお参りしているそうだ。しめ縄も地域の人々による手作りとのこと。
  浅野さんの話を聞いていると、日本史上最初の女帝かもしれない女性に思いを馳せると共に、現代の神社がしっかりと地域をつないでいることに寒い冬の日、暖かい気分になった。